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ジオログ
自分が好きであることがどんなに大切か知っていますか?
結果としてオーラも人相も輝きます
魂から輝いてステキな自分造り。
生きている間に生まれ変わる感覚。
ブログの「ヒーリング生活から真理の世界へと・・・」の一部です。
「素敵なハイヤーセルフの質問」
昨日
お教室を受けてくださった方が「素敵なハイヤーセルフ」のブログを読んでくださっていてその事の質問がありました。
『ハイヤーセルフは誰でもいるのですよね?』
はい必ずいます。
私の話を聞いた そのお教室のサニーメイトさんは
それは間違いない ハイヤーセルフだと言っていました(*^_^*)
特別なことではないし
それを聞いて 「そうだなー本当だ」と感じることが真理です。
そしてそのサニーメイトさんもその時に ご自分のハイヤーセルフとつながったはずです。
どの人も必ずつながっており どの位の割合でつながっているかが人により
またその人の中でもその日によって違うはずです。
ですからここで ハイヤーセルフとつながったというのは
その人のハイヤーセルフのある部分であったりある側面であります。
それで充分だし 自分よりかけ離れすぎたハイヤーセルフは自分では捕らえる事ができないし 分けが分からないのです。
ですから現実的に自分でこのハイヤーセルフのところまで上がりたいな〜と思うことが現実化しやすし ここ3次元に降りている意義があるように私は思う。
棚から牡丹餅が落ちてくるのを拾うためにハイヤーセルフは何を言っているの?なんて思うのはおかしくて この時点でつながってはいません。
自分で気が付いて上がってこそ始めて自分がハイヤーセルフになれます。
私の話で自分のハイヤーセルフにつながった人は
ハイヤーセルフの上に又ハイヤーセルフが居るということも不思議ではなく感じたはずです。
真実はシンプルで普通のこと。目くらましにはご用心。
『座敷わらし』
「座敷わらしが住む家は栄え
座敷わらしが見捨てる家は滅びる」
今 TVで放映しているので書いてみました。
これは自力パワーでなく 座敷わらしの影響で起きた現象。
座敷わらしは その家の人がお願いして来てもらいのかどうかはしらない・・・・
(心の中で なにか棚ぼたのようなものを望んだり・・・)
他力でなく
自然に与えられたものを受け取り ありがたく生きて生きたいと私は思う。
神に上げてもらって 神に落とされる人生ではなく
自分のやるべきこと
自分の役割をただ果たし 生きる人生の方が私はいい。生きている実感。
「自分のやるべきことをすれば 後に残るのは 満足感だけ」
これはある人に教えていただきました。
この領域に達したいと思います。
そして少し実感し初めています。
『ありがとう』が当たり前とは?
ご馳走してもらったり 会社の人同士で食事に行ったりした翌日
又会社などで顔を合わせますと
「昨日はありがとうございました」「昨日はお世話様になりました」
これが おはようございます!と同じように使われてる。
使われているのですが
私はこれができませんでした。
これがない若者がいませんか?
相手からこの「昨日はお世話様になりました」を言われると 何のこと?と思うのでした。
そして昨夜の事であると 気が付くと
私の方が先に言わなければならない事だとわかる。
そして次回からは これを私が先に言いたいと思うのですが
また忘れてできなかった。(すんごい過去形なのですよ。これらを体験する必要が最近はあまなく・・・
おかげさまで)
なんで この言葉がでてこないのか?
ありがとうございました お世話様が言えないのか?
これが言えないと常識がないとか 感謝がないとい思う人が居ます。
たしかに感謝がない人もいるかも知れません。
ですが 私や 今の若者の中には感謝がないのではなく 感謝が当たり前だから言葉に出てこない人がいるのも事実です。
昨日ご馳走していただいたとしますと とても感謝していて
そのご馳走をしていただいたという3時限的な事だけに感謝ではなく 相手の気持ちやその場の雰囲気や とても大きなものをうれしくありがたいと感じこれを全体的に受け取ります。受け取る範囲が大きくて
ご馳走していただいたという昨日の出来事は飛んでしまい(過ぎてしまう)
「ご馳走してくれた人が大好き」これしか残らず
これが当たり前で いつまでもご馳走してもらった人を思い出すたびにありがとう大好きと同時に感じます。
あまりのも 当たり前で 普通のことで わざわざ 言葉に昨日のご馳走の件だけをありがとうとは思い出せないのです。
20数年前の私は 自分の事がこのように理解できなかったので
自分が忘れたことを とても悪い事だと感じて 自分を攻めるということをします。
でも 「ありがとう」と口に出す事が習慣になった人は感謝しているとか 常識があると思う人が居る。たとえただの習慣性であっても。
猫や犬は「ありがとう」の単語は言わないが ありがとうや喜んでいることは人間は感じる(受け取る事ができる人が居る)
見ていれば分かる。
「ありがとう」を言われないと受け取れないのか?
「ありがとう」と自分が言って欲しいだけなのか?
「ありがとう」と言って欲しい場合は その人にご馳走したいのではなく
感謝されたいから ご馳走するのか?
「自分主体で生きる」
ご馳走は 自分が相手にしてあげたい時だけしたらいい。
猫にありがとうと言われたいから 猫の好きな食べものを与えるのではなく 猫が喜んでいるのを見たいから与える。また食べ物がないと生きていけない。
以前 我が家にいた 三毛のメスの猫の ”たんげ”が生きていた頃は 猫たちの統率がとれていて我が家の猫同士の喧嘩はなく また 近所の猫の襲撃もなく 猫の楽園だった。(猫王国だった) 今もまだ沢山いますが。
たんげは あまり家にはおらず 子沢山で子供を生んではどこかへ行っている。
そして自分が生んだ猫や孫やよそから来てうちの子になった猫たちに
「ウェ」と一言 言えばみんな(猫)が理解し 自分より小さな子猫の世話を兄猫がした。
たんげにさからう猫はおらず たんげは 他の猫に暴力的ではなく。また自分の子供以外の他から来て居ついた猫も追い出す事はなく。
「ウェ」と言うだけだった。
昨夜はありがとうございました お世話様も大切だと思います。
でも 私は 人からこれを言われると今でも 何のこと?と思う。
思い出すとあー フツーの事だ。
前回の個人セッションのことであったりします。
良かった 会社組織から抜けられて。
私には 覚えられないもの。習慣付かないし
人の 名前も 顔も覚えないもの。
そんなとき 失礼があるかも知れませんが 許してくださいませ。というか気にしないでくださいませ。
私は大切なこと(私の概念ですが)は忘れませんから。
私のありがとうは 一生づづきますから。
『サッカー 地球ゲーム』
今日は午前中に美容室に行きました。
同じ漫画本しかないのですが(増えない)
漫画を楽しみにしていまして 今日は あまり読んだことがない漫画にしました。
高校生かな?サッカー部をテーマにした漫画です。
ポイントゲッターがちょっと素直になれずにはみ出しましました。
チームには無敵な素直なゴールキーパーがいます。
ゴールキーパーは負けないことはできますが勝つことができません。
勝つには点数を入れないと勝ったことにはならないのがゲームです。
子供の頃 トランプなどのゲームを近所の友達をしました。
あの頃感じた 嫌なもの。
ゲームは夢中にならないと楽しくない。その世界にどっぷり入るから楽しいのです。そして得るものがある。
この得るものは勝利だけではない。
ですがゲームしか見えなくなると勝利しか見えなくなる。
友達たちは自分が勝っている時は機嫌がいいのですが
負けると明らかに不愉快な態度になる。暗くなる。
ゲームがつまらなくなる。
勝ってばかりが楽しいようだ。
負けた時の感情がある。
勝ったときの感情がある。
だから勝ちたいと又思いゲームに夢中になる。
ゲームをしていることが楽しい。
自分だけ勝ち続けないと 不機嫌になるとその場が楽しくなくなるのに。
勝利を得るためにゲームをすると自分が見えない。
地球が幻想の世界だから 殺人してもいいとか
自分で死ぬのは大変だから 死刑になったほうがいいとか 犯罪というものを犯した若者の言葉であるが
このように 地球にいながらゲームから抜けてしまうと 生きている事が楽しくないのではないか?その気持ちはよく分かる。私も地球にいるからだ。
自分に都合のいいこと 他人に勝つことばかりを得たがっていると
ゲームをしている事に意味があるのか?
この意味とか言うことも私の概念であるのですが。
3次元のゲームに参加しながら 楽しみながら(都合の悪いことも 得る事がある)
受け取った物に感謝できる。
サッカーのポイントゲッターはチームメイトの中の運動神経がスポーツが得意ではない人を攻めたのです。
チームメイトとは仲間のことです。
いろんな役割の人がいるから 自分がポイントゲッターの役をやらせていただけているのに。
運動神経がスポーツに得意でない人は 素直で無敵のゴールキーパーにかばってもらって親切にされて。
感謝して そして 親切にされているだけじゃーだめだ。もっと上手にならなくちゃ〜と感じる。
ゲームは夢中になると楽しいし 得るものも沢山ある。
ゲームに夢中になり勝利だけを求めたときに その人の範疇は狭くなる。
夢中になることも大切だし ゲームだと言うことを忘れないことや
ゲームをなぜするのか?のようなものを忘れない方がもっと楽しい。
これらも 私の概念です。
『負けない』
不屈の精神を私は持っているのではないかと感じます。
負けない。
ですが 私には競争心がありません。(*^_^*)
負けないとは 成功する事ではありません。
負けないとは 誰かに勝つことではありません。
『魂の使命は何か?』
こんな事を考えっている人や 実際にそれが自分で分かったと思っている方がいると思います。
かつての私も そんなことを考えて知りたい・・・と思った時がありました。
ですが それは既に 皆さん ここで生きているだけで果たしているのだそうです。
何かを学んだり覚えた事でこなす事ではないのですよ。これらは概念です。
幻想の中で造りあげられた事を教えられて覚えた事に過ぎません。
神から与えらられた 特別に任命されたと思う事は自分の価値を高めるような感じがするのかも知れません。
価値は全ての存在にあります。ここは平等であるはずです。
違うのは それぞれの資質。
そして 個々の選択。
個々の力は小さく無力でもあり その個がなにか特別な大仕事をするのではないと感じます。
自分では思い出せなかった事も 他人の表現を受けて自分の中で造りあげていく
これも 他人が存在していてくれたからであるが その後の変化はそれぞれが自分で行った事です。
『蛇に学ぶスピリチュアル』
今日はお友達から蛇の生態系について教えてもらったo(^-^)o 蛇は 目は見えない 耳も聞こえない 臭覚も良くない 感じるのは、腹から感じる振動のみ
その分
第三の目が発達しているのだそうだ
これを聞いて素晴らしい これぞ 本来のスピリチュアル
本来の精神世界です
高次元とつながるとか あなたのハイヤーセルフに聞くとか 良く良く考えてみれば誰でも
方向性が違うと感じとれるはずなのだが 知識ばかり増やして覚えただけで
その事自体が何を示しているのか感じようとする気がなくなってしまっているのが残念だ 覚える事が良い事であり それがどんな事か検証する事をしない
だから間違った事でも平気でできる
蛇は目も見えない耳も聞こえない臭覚も良くない これを自分は劣っていると考えていない所が素晴らしい 人間は素晴らしい考えるという能力を持っているにも関わらず有効に使えているだろうか?
例えば
走るのが遅くても
歌が音痴であろうともそれはあくまでも資質なのだ
目が良い人もいれば暗記が得意な人もいる
これらに優劣を付けて自分やお互いのエゴを喜ばせたり、他人を見下したり、自分をダメだと思いこんだりしていることに考える力を使っていませんか?
それらの事は尊い素晴らしいことですか? 目が見えない耳が聞こえない分第三の目が発達している霊的な蛇の話を聞いて私は
これが本来のスピリチュアルだと感じるのです。
苦手な事を悔やんだり悲しんだりする必要性はないのです。 霊的な動物は必ずそれを補い生きるすべがある
劣っているのではなく個性だ 他人と比較する事自体に意味がないのに
その大切な所を見ないで
苦手を克服する講座 セルフコントロールで思い通りの人生をつかむ
人工的なものだ
苦手な分野が優れていたり優れている部分こそがその人
魂が行いたい事だと私は感じる
歌が上手い人は歌えばいい 絵がうまくて絵が好きなら絵をかけばいい
本来の自分がやりたい事はその人が得意にできている
作曲家は作曲が好きなのではないか?
(うまくない人もどんどん 歌ったり 描いたりしたらいいと思っていますよ。私もうまくないけれど絵は描き始めました。自分の好きに楽しくやるから楽しいのです)
そしてこれら特別な事だけではなく料理が好きで料理が上手い人もいるでしょう。
以前私のクライアントさんの中に自分は何も出来ない
イヤ自分はできるはずだみんなのようにできるようになるぞ!と思っていた時期があったという人がいました。
お教室を進める中で他人や姉妹のようにできるようになるのではなく自分の好きな事をすれば良いのだと自分で気がついて好きな料理を以前よりも一生懸命するようになったら
ある日ご主人に『こんなに美味しいおでんは生まれて始めて食べた』と言ってもらったと喜びの電話をくれました。そして自分を好きになり毎日幸福を感じて生きられるようになったら好きでやっていた整体の仕事の腕が上がったそうです。その人のエネルギーが高くなったので整体の結果の出方が変わったのでした。 自分の姉が何でもできるから姉のようになりたいと以前は思っていたが 自分は自分のままでいい自分が好きで姉も大好き我が子も旦那も大好きで大好きな料理をみんなに食べてもらうのが楽しくて好きな整体でお客さんに喜んでもらうのが嬉しい。 この方は半年コースの中でそれを実感できるようになり卒業していきました。
これがスピリチュアルなのだと私は思っています。
他人と比較する事や競争の中に優しさや真の喜びや他人を祝福できるものはないのに(スポーツなどの競技の中は、このヒトククリにしきれない所があるのではないかと感じます)
私は子供の頃から歌が音痴でした。私は自分の事を理解できるので音痴である事も知っていましたし音も知っているしその音を出そうとしてもその音を私は持っていませんでした。音の幅がないので歌にならないのです。 みんなで声を出して本を読んでもみんなと声が混ざる声がなく私だけ浮いていました。
みんなと同じになりたいな 歌も好きだし歌いたいな 私は中学生の歌のテストで私だけ歌いませんでした。歌にならない事を知っていた私は歌う勇気が無かっのです。 歌のテストは歌が上手いかどうかで点数を付けます。今の私はそんな心の傷も残っていないのですが。
その蛇の話をしてくれた友達は
自分の仕事で声を出す時に私の真似をするのだと言ってました。それは私の話方は単調で声も高過ぎず低すぎず
これが人を誘導したり癒やしたりするのによいらしい。 私は誘導瞑想が大得意で大好きです。声とエネルギーで人を誘導し瞑想へ連れて行く 誰に教えられた訳でもなく
自分でやりたいと思い始めまました。
私は今のお仕事をする人なのだと自分でわかっています。ブームだからとか自分が癒されたいからではありません。そして自分のコンプレックスだった声が仕事に向いている声もわかりました。
それを後押しするかのように友達がその訳を教えてくれました。誘導に最適らしいo(^-^)o
私は音痴なのではなく音域が狭いのが資質であり欠点ではありません。誘導には最適であり私が話していると聞いていて眠くなるという人も多いです。私の所から帰ると眠いので必ず寝ると言う人もいます。寝てください!そして自分の力を取り戻してください。 欠点は克服するものではなく資質です。 つい先日
人の名前をすぐに覚えなさい!という先生がいました。これを勧める意味はわかります。大切な事だし名前を覚えてもらうと嬉しいし相手に対して親近感を覚えます。でも私は人の顔も名前もなかなか覚えられません。これも欠点だとは認識していません。暗記型のように覚えるのではなく全体的に受け取り私は的を外しません。受け取るのです。理解するのです。見ただけでわかる事も多いです。資質です。受けとり方が暗記ではないのです。 私は
この講座は私には必要ないと判断しました。
今までのパターンの中に人をはめ込み続けるだけでは
新しい未来はない。コピーのコピーが増える。
真理だけは変わらないはずです。
ですからね スピリチュアルや精神世界を勘違いしている人が多いのですよ。
成りたい自分になるのではなく
本来の自分を知る事がスピリチュアル 欠点はないのですよ 資質です。
だから競争もしなくていいし
人に勝たなくてもいいのです。勝つ人がいるから負ける人を作る。
自分の欠点も資質として見られるようになれば、他人を見下したりもしない。
本来のスピリチュアルはもっと自然で誰もが普通にできる事であり
特別な能力を付ける事でもないのです。
スピリチュアルの先の先には平和しかない。 愛と調和 平和
こんな言葉さえいらなくなる事だと私は感じて日々を過ごしています。
『セルフコントロールお勧めしません』
世の中で好いこととされている中にセルフコントロールというものもありますが、私はセルフコントロールはおすすめしません。
思い通りの自分 輝かしい自分 苦手を克服する 都合の好い自分
これらを作り上げていくために自分で自分をコントロールして作り上げて生きやすくなる 満足するという事で、一見素晴らしい事のように感じます。
ですが よく感じてみてください。 これは自分で自分を操作する事であり
自分に取って都合の好い人間を作ってしまう事なのです。
私が人を見てロボットのように見える理由の一つだと思います。
3歳位の子供を見てもロボットには見えません。 先程、おたまじゃくしを久しぶりに見ていて見とれましたが、いつまで見ていても飽きませんでした。おたまじゃくしはロボットではありません。
泳ぎたいように
ただ泳いでいます。ありのままを楽しんでいるようです。どこにもコントロールがないので
とても気持ち好い感じがするのでしょう。
炎を見ていると飽きないし癒されると言う人がいます。 炎にもコントロールがどこにもなく、ただ燃えているからです。
私が大切だと感じる事は
ただありのままである事です。 本来の自分です。 素のままの自分です。
加工品でなく魂のままの自分。
学習する事とは、セルフコントロールではなく
赤信号は止まりますとか、右側をあるきます。 畳の上は靴でははいりません。他人の家でスリッパを出されたらはくなどのルールです。無駄はしないなどもいいでしょう。
人類は今まで散々自分たちを教育という名のもとにコントロールしてきました。ありのままの自分ではなく無理があり歪みを作ってきたから苦しかったりうまくいかなかったりしているように感じます。 その上をさらにコントロールを自分で刷り込み都合が好いであろう自分を作り上げていくというのです。
本来どの人にも個性があるのです。自分に向いているものがあるし自分にしかできない事があるのです。それは自分が知っていて自分がやりたい事です。 この自分がやりたい事をしている時が楽しいし輝いているし自分の能力を楽しんでいる時でありそれは世の中と調和がとれ必要とされたり役に立っている状態だと思います。
人の役に立つ事が目的ではなく人の役に立つ事が素晴らしい事でもない。人の役に立たないものはダメでもない。
色んな刷り込みやコントロール
教育これらが人の個性を奪い輝きを奪い似ているような人を作り上げて競争させ新たに苦しみを生み出す。 一見好いことのように思わせてその後に苦しみを与える法則。
ここから離れるには様々な概念を手放しありのままの自分に戻る事。
真実の自由。他人の目を気にしない。自分自分に従う。 自分自分に従うと欲望のままになってしまうのでセルフコントロールをさせようとするのでしょうが。
心の奥にある愛に飢えたものや傷ついているものを解放していけば、自分の力を取り戻し本来の自分につながっていけば、そういう心配はありません。
心理学的なセミナーやスピリチュアル的なセミナーに通っていると先生を崇拝しその集団は同じようなカラーになります。 個性がなくなり元気に明るいく
強ささえ生まれ 人前で堂々と発言をし
他人にどんな風に思われるかを計算した表情を反射的にするようになる。
私から見ると不自然でロボットたちを見ているようだ。
私はスピリチュアルの中に入る事でスピリチュアルの不自然さを感じ 今心理学の中に入り、そこから不自然を自分自身で感じ取っています。
本来の解放ではない人口的なものには不自然さがあり
いくら元気で感じがよく
人前で落ちついてハキハキ話す事ができようが 瞳が生き生きしていない 人口的なものだ
小さな子供にはそれがなく生き生き輝きパワフルだし おたまじゃくしも見ているだけで気持ちが好い。
真実 真理 自分の特技 自分の個性 自分の好きなもの
これらは、どの人も自分の中にあるものなのに
見えなくなっているのは コントロールが自分をしめているからです。
私はここを解放して楽になっていって貰っています。
それには心理学を知る事で皆さんの状態を知る事ができており役に立っています。
心理学をされている方が読まれたら 憤慨されるかも知れません。 そういう方は、ここに立ち止まる必要もありませんし 私は戦ったり口論するつもりもありません。
心理学をされている方も本来の解放を促される日が来ます事を祈ります。
『スピリチュアルのお教室は、いくつかありますが どの教室も魂から輝いてステキな自分造りをお手伝いするものです。』
私の資質(魂)が他人の変化を促すヒーラーですのでアセンション(成長)を目的としていますが、結果としてオーラも人相も輝きます。ステキな自分造り。自分を愛してください。この事で円滑に地球が回るのです。生きている事が楽しくなってください。
こんな自分はダメだとか
性格だから直らないとか
自分は負け組みだとか
自分は見た目が悪いから損だとか
自分は他人から好かれないから世の中はつまらないとか
他人から愛されたくて仕方がないとか
生きている事がむなしいとか
自分は親からも周りの人からも愛されないとか
自分はプラス思考で前向きなのに何か自分の人生に物足りないとか
対人恐怖症とか
人間関係がヘタだとか
霊を見てしまうとか
自分に自信がないとか
自分の事が分からない 自分がないとか
普通に話しているのに怒り口調とか
自己否定癖とか
生きている上でなにか自分の中に引っ掛かりがある方は
それを見つめて解放して 自分が好きで楽しい人生に変えませんか?
それがアセンションに繋がります。
望んで始めれば出来るはずなのです。諦める事は自分を見捨てることです。
望み続けるだけでは可能にはならない事があります。行動を伴わずして成長はないからです。
自分の好きな事・・・ スポーツだとか遊びとか恋愛をなどを好きなだけ罪悪感なくしているという人生をさしてはいません。
『自分に正直に生きるとは』
自分の中の崇高な意識に従う事です
『いつでも今が順調』
人生の中には、自分にとって都合の良い事ばかりではなく 都合の悪い事もついて回るかと思います。
こんな時でも 私は 「今が順調」だと思っています。
自分を愛して 自分に正直に
自分がいやな事や嫌な方向(エゴではなく)に進むことなく
真っ直ぐに 真っ直ぐに 自分自身と対話しながら生きている私は、
逆境の時でさえ 「これは順調だ」
順調とは 都合の良いことではないからです。
自分の人生を 全て受け容れて
だから こんな時はどうするか?
そうやって生きていれば 自分の魂と繋がって生きていれば
必ず 光に向かって生きているはずだから
都合の悪い事でも 後になって振り返れば
方向転換を自分のためにする時期であったりとか
自分をもっと大切にするための 道しるべであったりと
気がつきます。
目の前の都合の悪い事で あたふたせず
自分の魂と 対話して 今日も生きる。
ヒーリングメイトサニー をご覧下さい。
『全力で生きる』
私にとって全力で生きるとは
何かを成すとか
何かができるようになるとか
会社で認められるとか
何か形になるようなものを残すのか
自分がこの世に存在した意味を残すとか
そういうことではありません
どんな自分もありのまま愛する事です
もしも何かを失敗しても笑える自分
もしそのことを他人様が笑ってくれなくても
そんな事も笑える自分
ここまでの大きな失敗はしてはいけないという失敗があるとするならば
自分を愛していれば そういう状況にならないような気がしています
ここに自分を愛する素直な人が存在するとします 何かが出来ても出来なくても 今を楽しみ 天気が良いと喜び 雨が降ればありがたいと感じ 花を見たら綺麗だと喜び 他人を見ても羨ましがらず 人の喜びを喜べて 他人の中の親切や純粋さに感動し 会社で働いても身体が動かせて嬉しいとか人の出会いが嬉しいとか一つ一つを喜べる
又 ここに自分はダメだ これが出来ない 人より劣る 叱られたくない あの人が羨ましいなどのねたみを持っている・・・・そして何かが出来ると自分に満足できる 人より出来ると満足する 誉められたり認められると満足する 他人の目をいつも気にして行動している ・・・・・
この2人の存在がいるとするならば 宇宙にとってはどちらが必要でしょう?どちらが宇宙の進化につながるでしょうか?
何か特別の事を成すことは全ての人にはできませんが
自分を愛する事は全ての人にできるのです
始めようとするか?
そのことの重要性に気がつけるかです。
『インディゴはおそらく』
インディゴはおそらく自分がインディゴだと言われなかったとしても落胆する事がなく
自分がインディゴだったらいいなぁと思わず
インディゴだったら頑張っていろんな事をしようとも思わず
インディゴに価値をおかず
精神世界の常識の数々をおかしいと思い世の中の人が求めて止まないものを?と思い
何かを他人のせいにせず
今の環境でどうするか?をいつも考え
インディゴだからといって<凄い>とか思わず
自分の内面と他人の内面の違いを感じ
自分にできる事は何か?これをコツコツこなし
テレビや本に書いてある事が<違う><おかしい>と感じどうする事もできない自分の無力さを感じ
それでも投げ出す事ができず
今日も自分をみつめて
自分が大好きで
おそらくそうなのではないかと思います これは、私の事ですけれど
また
これに当てはまる人がインディゴだというわけではありません
そしてインディゴなら通じる話しがあるはず
『二分化の波』
フリーターの中でも二分化が見られるようです
色んな仕事を体験できて今を楽しむ者と 疲れきって楽しむのではなく働く人
私は、色んな体験を楽しんでいます
だから明るいですよ
この明るさはハイテンションとも違うようです
それから 電話の声 電話はわかりやすいですね
笑顔が見えないから 相手の声がパワーがある人とエネルギーが消耗している人
どちらに入るのかは自分次
『我慢』
我慢はしてはいけません
我慢しなくてもそれが受け入れられる自分になる事です
そこが大切
『エネルギーワークの有効性』
エネルギーワークを楽しんでされている方もいらっしゃると思います。
エネルギーワークは教えてもらえばいいと言うものでは在りません。 これを自分で楽しく行う事で自分の中のエネルギーの浄化を促す一つの方法です。
私はエネルギーワークのセッションをしている時には、エネルギーをクライアントさんにかけていますので クライアントさんが自分一人で行うよりも効果的にエネルギーワークが行われます。 又、エネルギーをかけてもらうことでワーク中に瞑想に入りやすくなり効果があがります。
エネルギーワークは 1度受けたからもうこれで済んだとか これで現実が変わらなかったとか落胆するものではなく 目的はエネルギーの浄化であり感情解放の進みを促したり・・・・と自分自身の対話を促すひとつの方法です。 又、エネルギーワークを受けることで現実がそこから変わりだすこともあります。 1度のエネルギーワークを受けただけの人たちでも数ヵ月後にお会いした時もエネルギーが軽いままで(エネルギーも表情も柔らかく前向きで自分を楽しんでいる)いらっしゃるのを拝見する機会があります
『愚か者とは』
自分は<おろか者>だという話しをきく事がありますけれど
おろか者とは、自分の事がわからない事ではないでしょうか? 少なくとも自分をおろか者だと感じたとするならば、その時点でおろか者ではなくなり自分に気がつき内観が行われその人の進化がスタートしたのではないでしょうか?
新たな人生へのスタート
『本来の幸福』
今 地球に存在する魂は
他に2つとない 一個としての個性をどこまでも追求し輝くために
作られた常識や枠の中で 競い合い
優劣を義務つけられた長い歴史
どこまでいっても安らぎのない
<向上心>と勘違いしてきた欲望
何かを手に入れる事で得られると信じた幸福
何か自分以外のものを得て得られた幸福と思えたものは
それがなくなった時には、それを得る以前より落胆と苦しみの中に落ちる
自分の外に幸福を求めても、それは幻想でしかない
それが恋人
夫婦 親子であっても
自分の中にある本来の幸福を得た時に
自分の周りに家族や大切な者がいたとするならば
その人が居るだけで喜びは増すのかもしれない
いや
喜びというより感謝だけかも知れない
自分の周りに誰もいなくても 自分が居る 自分が今
ここにいるだけで幸福である
ありのままの自分らしさを楽しむ
そこには優劣や他者との比較は存在しないしする必要はない ただ自分が好きでたまらない状態
『悔いなし』
私は自分の人生に悔いがない
それは、人より恵まれているとか 人より優れているとか 人よりラッキーだったとか 人より裕福だったとかではない
どんな人生であろうとも
その中でいかに生きるか?
私はいつも自分と向き合い どう生きるか?を自分自身と対話してまいりました
だから 私は自分の人生に
自分自身に悔いはない
私は本当に自分が好きで幸せです
『地位と名誉とお金』
私は私のままで幸せであり 他のどの人にもなりたくはない
だけど
地位や名誉のある人生で豊かに生活する人を羨ましいと思います
地位も名誉もある人を感じてみました
するとですね 自分の力で地位も名誉も自然にできあがった人なのに この人は人に裏切られる事も多いと感じました
これはこの人が悪いわけではなく
力や能力に人は なびく事はあるが自分の都合で近づくので自分の都合で裏切る事もする 私も人に裏切られたと感じた事はありますが 地位も名誉も力もある人は
人から裏切られる体験が多いかもしれない
地位も名誉も手に入れようとしたわけではないが自分らしく生きただけで手に入いった人でも同じでしょう
私はどんな人も自分から裏切るような事はしたくはありません
もし
私がそんな事をしたら、私は自分を好きになれず苦しむでしょう
そんな苦しみは体験したくありません
私は自分が好きで楽しいです
『豊かさ 今を生きる』
お金や物に恵まれる豊かさもありがたいと思います
貧乏する事で吸収する豊かさもあります 悲しみの中にどっぷり入る事で感じとれる豊かさもあります 病気をする事で気がつける豊かさもあります
それぞれの環境の中でいかにいきるか
色んな豊かさに恵まれて生きる事も素晴らしいと思います これが本当のスピリチュアルです
今を一生懸命生きる事を応援してくれるヤングリビングの<プレゼントタイム>です。気持ちのいいエネルギーで
香りはキュンとするよう感じが私はします
『魂の喜び』
薔薇はひまわりには成れません
ひまわりはチュウリップには成れません
薔薇はひまわりにはなりたいと思わず
ひまわりもチュウリップには成りたいとは思わず
ただ 自分の生命を一生懸命に 咲いています
桜の花が咲くのを 人々は楽しみにしています
桜は 散る事を恐れません
桜は散る事を怖がり つぼみのままでいることもしません
自分の資質そのままに 芽を出し 成長し
咲きます
とても綺麗です
どの魂も どの 人も 他人を羨ましく思う必要が無く
他人を羨ましく思う 習慣は もう要らないと思います
自分自身に目を向けて 自分の花を楽しみましょうよ
『魂 本代の幸』
今 地球に存在する魂は
他に2つとない
一個としての個性をどこまでも追求し輝くために
作られた常識や枠の中で 競い合い
優劣を義務つけられた長い歴史
どこまでいっても安らぎのない
<向上心>と勘違いしてきた欲望
何かを手に入れる事で得られると信じた幸福
何か自分以外のものを得て得られた幸福と思えたものは
それがなくなった時には、それを得る以前より落胆と苦しみの中に落ちる
自分の外に幸福を求めても、それは幻想でしかない
それが恋人
夫婦 親子であっても
自分の中にある本来の幸福を得た時に
自分の周りに家族や大切な者がいたとするならば
その人が居るだけで喜びは増すのかもしれない
いや
喜びというより感謝だけかも知れない
自分の周りに誰もいなくても 自分が居る 自分が今
ここにいるだけで幸福である
ありのままの自分らしさを楽しむ
そこには優劣や他者との比較は存在しないしする必要はない ただ自分が好きでたまらない状態
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